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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [13]




 この屋敷のどこかに居るのだろうか? それとも連休だし、どこかへ出かけているのだろうか? そう言えば、世間は長期休暇だ。こんな時期に仕事をするなんて、霞流聖美という女性はどのような人物なのだろう? どんな仕事をしているのだろうか?
 仕事といえば、緩の父も仕事だ。父が休んで家でゴロゴロしているところなど、緩は見たことがない。父は育児や子育てに無関心な父親ではなかったはずだが、緩は父に距離を感じている。母親がいた頃には専業主婦である母に任せてしまっているところがあったが、母が亡くなってからは逆に距離が広がったようにも感じる。母親が亡くなった後に、孫の面倒は自分たちがみるからお前は事務所の仕事に専念しろと父が祖父母に言い含められていたのを、緩は知らない。関東出身の嫁がいなくなった事で孫を溺愛し始めた祖父母は、緩にとっては鬱陶しいだけだった。
 セットされた紅茶から香りが広がる。外を歩けば少し汗ばむ陽気だが、差し込む陽射しは心地良く、華やかな調度品に囲まれて座っていると、ここはもしかしたら緩が望むような理想の世界なのではないかと思いたくなってしまう。
 お金持ち、だよね。いったいどんな仕事をしているんだろう。
 緩は、霞流の家については実はあまり詳しくは知らない。あれこれと問い詰めるのは失礼だとも思うし、そもそも、霞流の家について聞いたところで、それが緩にとって、なにかの役に立つ情報とも思えない。
 そうよ、私は別に霞流の家を利用しようとだなんて思ってもいないんだから。
 じゃあ、他の人間は? 例えば、大迫美鶴とか。
 彼女は、学校では霞流の家との関係を自慢するような態度は取ってはいない。

「美鶴は、権力なんてものには、興味も無い」

 本当かしら? 本当は、どこかで利用しようとでも考えているんじゃないかしら?
 だが、その事実を裏付けるような証拠は無い。
 何か明確な事象でも掴む事ができれば。そうすればもっと先輩を強く説得する事ができるはずなのに。
 大迫美鶴は絶対に瑠駆真を利用しようとしている。そうに違いない。そうでなくてはならない。美鶴が悪女でなければ、緩は聖女にはなれない。瑠駆真はいつまでたっても振り向いてはくれない。緩の良さをわかってはくれない。だから、大迫美鶴は潔白で何も悪い事はしていませんでしたなどといった展開には、なってはいけないのだ。
 夏休みに、山脇瑠駆真は花嫁を連れてラテフィルへ帰る。
 そんな噂は嘘だと言った。
 だが、それでも、やがて彼は砂漠の国へと帰っていくのだろう。
 陶酔(とうすい)したような瞳が脳裏に甦る。

「見つけたよ」

 至福に満たされたかのような甘美。
 このままでは、先輩は魔女の呪術に犯されたまま、大迫美鶴を連れて行ってしまう。なんとしても阻止しなければ。
 窓の外の緑を眺めながら思案する。あまりにも深く考え込んでいたため、入り口の音には心底驚いた。
 誰かが入ってくる時には必ずノックされるものだ。そう思って油断していたのもある。
 唐突に入ってきた男性に、緩はもうビックリして腰を浮かせた。
「ん?」
 長身の男性も驚いたようで、涼やかな瞳を丸くして入り口で立ち止まる。
「失礼、来客でしたか」
 驚きながも優美な仕草で非礼を詫びる。
「知らなかったとは言え、申し訳ありません。ladyの午後のひとときをお邪魔するつもりはなかったのですが」
レ、れでぃ?
 途端、頬が紅潮する。
 こ、この人って?
 白くほっそりとした頬に、切れた瞳。長身の背に流れるのは薄茶色の髪の毛で、それが午後の陽の光を浴びて、まるで金糸のように艶やかに揺れる。物腰は当然柔らかで、仕草も自然で品が良い。
 唖然とする相手に、霞流慎二は優しく笑った。
「このようなところでお一人とは、さては誰かをお待ちとか?」
「あ、あ、あ、あの、あ、は、はいっ」
 緩は慌てて立ち上がる。なぜだか、座ったままで返事をするのがひどく失礼な事のように感じた。
「幸田さんを」
「幸田? あぁ、幸田ですね」
 言いながら扉に手を掛ける。
「これはこれは、我が家の使用人がお待たせをしてしまって申し訳ありません。すぐに呼んで参りますので」
 言いながらゆったりと扉を閉めようとする。緩は慌てた。
「あ、ダメです」
 乗り出すと、膝をテーブルにぶつけた。衝撃で紅茶が零れそうになる。右足にジンワリと痛みが広がる。
「っつ」
「あ、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫です」
 なんで私、慌ててるんだろう?
 二・三歩近寄ってくる青年を片手で制止、もう片方の手で膝を押さえる。
「大丈夫です。それより、幸田さんはダメです」
「ダメ?」
「はい、今、なんだか忙しいらしくって」
「忙しい?」
「聖美さんとかいう方のお仕事があるらしくって」
「あぁ」
 一瞬、奇妙な不敵が零れたような気がした。だが、それは本当に一瞬だけ。緩が瞬きをする間に、青年はもとの好青年へと戻っている。
「でもここにいらっしゃるということは、幸田がこちらにお呼びしたのでしょう?」
「忙しいのを、私が無理にお願いしたんです。それに、一時間ほどだって言ってましたから。たぶん、もうすぐ来られるのではないかと」
「そう、ですか」
 相手は眉尻を下げる。
「私は構いません。こんな綺麗なお部屋で待たせて頂いて、こちらの方が恐縮してしまいます」
 そんな緩の言葉に、今度はふんわりと笑顔を見せる。
 百面相だなぁ。
 いや、百面相だなんて言うほどクルクルと表情が変わるワケじゃない。じゃあ、何だろう?
 緩は片手を軽く胸に当てて必死に動悸を抑えながら、もう片方の手で膝を摩りながら相手を見上げる。
 どの表情も、サマになるんだな。
 困ったような顔も、嬉しそうな表情も、最初に見せた驚いたような仕草も、どれもが品良く、優美なのだ。
「そのような寛大なお言葉を頂けると、こちらこそ恐縮してしまいます」
「そんなっ」
「お若いのにすばらしい。まだ学生ですか?」
 ベタ褒めされているようで恥ずかしくなる。だがお世辞だと頭の中では言い聞かせても、やはり悪い気はしない。自然と、舌が滑らかになる。
「はい、唐渓高校の二年生です」
「唐渓」
 ふっと、表情が曇ったようで、緩は焦った。
「あ、あの、唐渓という私立の高校で」
 この辺りでも、唐渓の名前を知らない人はいるのだろうか? 知っていて当たり前だと言うような言い方をしてしまっただろうか? それはちょっと傲慢な発言だったかもしれない。
「えっと、電車で木塚駅まで行って乗り換えて」
「えぇ、知っていますよ」
「へ?」
 やんわりと返答され、緩は言葉を失う。そんな、間抜けとも思える表情の相手に笑みを零し、慎二は後ろ手で扉を閉めた。
 へぇ、唐渓の生徒ねぇ。
 ゆっくりと歩み寄ると、そっと右手を差し出した。
「膝の具合は大丈夫ですか?」
「え? あ、はい、大丈夫です。全然」
「どうぞ、お座りになってください」
「あ、はい」
 促されて素直に腰を下ろす。







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